凡人、医学部へ。その②

どーもryojiです!今回はこれまで人生振り返りpart2というわけで、、、書いていきます

 

  • 高校編

part①でも触れましたが、私は部活に所属することはせず、、帰宅部を選択しました。

授業が終われば塾に直行する毎日。そして自分の高校のカリキュラムを突き放す勢いで数学、英語中心に詰め込んでいきました。

単元ごとに基礎的なことを教えられ、あとは何も考えず問題集でひたすら手を動かす(←これについては後程。)

 

当然、先取り学習ができれば学校で受ける授業を復習に充てることができるのですから。

定期テストもいい点を取り、外部模試(進研模試)も学年1位を取ることができました。

やはりどんな環境であれ1位というのは気持ちがいいものです。

知ってか知らずか自分はできる。そんな気持ちになっていたように思います。

いつしか塾中心で学校はサブ。授業もほとんどをまじめに聞かずに、惰眠をむさぼるように。 

そんなこんなで1年、2年と過ぎ。

 

 

 

 

だんだんと受ける模試も記述式に加えマーク式も加わり、教科も理科、社会と増え、出題範囲、対策しなければいけないものが増えていきました。

さらに、志望大学別で判定がなされ始めたのもこのころからです。

私は当然のように医学部で志望欄を埋め、試験を受けました。

 

 

 

 

答案とともに自分の成績表が返ってくるのが1か月後くらいだったか…?

結果はというと…  

 

 

 

 

 

D判定。合格可能性20%以下。

 

 

えっ。。。。。。なんで。。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凡人、医学部へ。その①

どーもryoji です。唐突ですが、私は一年間の浪人生活を経て国公立大の医学部に合格しました。浪人先はというと有名な駿台予備校です。ここからは、合格に至るまでの経緯について書いていきます!

 

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  • 高校に入るまで    

高校入学まで私は世でいう受験戦争とは無縁の環境で生きてきました。

小学校から塾へ行き、中学入試の勉強をし、中高一貫校を経て有名難関校へ。

イメージされる受験戦争というのはこの経緯をいうのでしょうか。かくいう私は何をしていたか。友達と学校を走り回り、先生におこられ、いたずらをし、、ry)

小学校6年生から医師という職業をめざしていたにもかかわらず勉強には手を付けず遊んでばかりいました。

(もちろん罪悪感はゼロ。勉強か遊びかという選択肢などなかった。)

 

当時まだ医学部受験が難関で、どれほどの努力を必要とするものなのか微塵も考えたことはなかったのです。理由は簡単で情報が入ってこなかったから。

 

 

 

私の両親は医学部どころか、4年制の大学をも出ておらず、彼らも”受験”とは無縁の状態でした。

私は塾にもいかなかったため私たちのまわりのコミュニティも似たようなもの。当然そのような情報は入ってくることはなかったのです。

 

  • 高校へ

中学三年になり高校入試を控えた年、さすがに本格的に勉強を、ということで個人学習塾に通わせてもらいました。

 

目指す高校は地元の中では評判がよく、何もしなくても受かるというところではありませんでした。(偏差値的には55程度)決して難関校ではありません。

その高校にした理由は立地的に近かったからです。

 

無事その高校には合格し、一段落ついて塾にて面談が行われました。

 

そこで医学部を志望している旨を塾長に話すと、開口一番、塾長に医学部がいかに厳しい道かということを聞かされました。

 

 

 

 

 

君の通うA高校(仮)には一人も合格者はいないと思う。

だから、相当厳しい道になると思う。まずは進学校に追いつく必要がある。到底部活をやっていてはその進度に追いつくことはできない。と。